筑波大学図書館蔵書見開きNO.18~19



(天満社)
翻刻
天滿神社
祭神 菅原神
御殿 三尺四方 板覆
拝殿 二百ニ 三百桁数 茅葺
祭禮 (正)月六日 六月十三日 九月十三日 毎月廿五日
産子□を□□ハと□し
現代訳
天満(天神)を祀る神社。祭神は菅原神(菅原道真)。
本殿は三尺四方で、板で覆っている。
拝殿は(二百ニ/三百桁数)で、屋根は茅葺。
祭礼日は(正)月六日、六月十三日、九月十三日。加えて毎月二十五日。
最後の「産子…」の行は一部が未確定で、産子(うぶこ・氏子に相当する集団)に対して何らかの呼称・区分を与えている趣旨に見えるが、字面は確定できない箇所が残る。
差し込みに対する考察(道真の年代を含む)
- 年代錯誤としての「菅原」
菅原道真の没年は延喜3年(903年)。奈良時代に成立した風土記の原初層(8世紀の官撰記録)に、道真=天満(天神)を正面から置くのは時代的に噛み合わない。
したがって「天滿/祭神 菅原神」は、原初層の叙述というより、後世の整理・台帳化の過程で付与されたラベル(同定)である可能性が高い。
まとめ
この項の要点は、奈良時代層と整合しない「道真(903没)」の出現それ自体が、後世の編集・整理層(差し込み層)を示す強い手掛かりになる、という一点にある。
今後は、同一帳面内での祭神ラベルの反復、書式(御殿・拝殿寸法/屋根/祭礼日)の統一度、小祠群の列挙形式との比較によって、差し込み層の濃淡を継続して見ていく。
天日鷲命の加護による豊穣の村・種野村種野村は十山の入口に位置し、里村にも近い地にある。
山林資源に恵まれ、松・柞・雑木を薪として伐り出し、牛馬による運搬が行われていたことから、山の資源と人の往来が結びついた村であったことがうかがえる。
藍・米・麦をはじめ、雑穀もよく実り、風害も少ない安定した土地柄であり、村中の暮らしはよく整っていたと記されている。
このような豊穣と安寧は、天日鷲命の御徳によるものとして語られている。
右頁
小祠の事
八坂神社 祭神素戔嗚尊
黒川神社 祭神彦龍命
黒川神社 祭神大山袛命
聖神社 祭神秘羽目命
若宮神社 祭神仁徳上皇
宮田山神 祭神大山袛命
白山姫神社 祭神同號
箱石山神 祭神大山袛命
祭日 惣るリ正 五 九月七日
此村ハ十山入口にして商法の人多く里村へ近き廟ニて又
民家ニそい 松 柞(ハーソ)其他雑木の薪を伐出し
牛馬の背に駐して活業忘多く産物ハ藍米麦
を嬉免其前雑穀皆生し此地の地業よろしく骨髄
にて貢物も格別に為ふ左つるにるもなけれハ後世忘
なし安く且亦東西南北とも岢悉山林にて暴風も
なく是故に村中産暁にて至極上ニの村なり
右括作物の静熟する此地なるを天日鷲命冗進たまひ初て麻楮を殖させたまふとのならん
神位の尊むへき炳然ハ言語に費しかさしと云ゝ
現代訳
八坂神社には素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、
黒川神社には彦龍命(ひこたつのみこと)を祀る。
黒川山神社には大山祇命(おおやまづみのみこと)、
聖(ひじり)神社には秘羽目命(ひはめのみこと)、
若宮神社には仁徳上皇(にんとくじょうこう)、
宮田山神社には大山祇命、
白山姫神社には同じくその御子神、
箱石山神には大山祇命を祀る。
祭日は、正月五日および九月七日である。
この村は十山への入口にあたり、商いをする人も多く、里の村にも近い要地である。
また民家に沿って、松・柞・□(ハーソ)その他の雑木を伐り出して薪とし、
牛馬の背に載せて運ぶことで生業とする者も多い。
産物は藍・米・麦があり、これに加えて雑穀もすべてよく実る。
この地は土地の働き(地業)がきわめて良く、骨身に応えるほどで、
貢納する品も格別である。
不足することもなく、後の世まで忘れられることはないであろう。
安らかで、さらに東西南北のすべてが岢悉として山林に囲まれているため、
激しい風もなく、
そのため村中は□暁に行き届き、至極上等の村である。
以上のように、作物が静かに熟すこの土地であることは、
天日鷲命によるものである。
また、はじめて進み出て、麻や楮を植え広められたのも
この神によるものであろう。
その神位の尊さと明らかさは、言葉を尽くして語り尽くせるものではない、
といわれている。
この村の祭日は、正月・五月・九月の七日である。
この村は十山(とやま)の入口にあり、
商いを業とする人が多く、里に近く往来に便利である。
家々には松・椚(くぬぎ)・柞(ははそ)などの雑木があり、
これを伐って薪とし、
牛馬に積んで雇運び(よううんぱん)をして生計を立てる者も多い。
藍・米・麦・雑穀などをこの地でよく作り、
その地味(ちみ)は豊かで骨の髄まで恵まれ、
貢物も格別であり、馬が立ち止まるような難所もない。
また、東西南北のすべてが山林に囲まれており、
暴風もなく穏やかな土地である。
この枝郷(えだごう)は、産業が盛んで、
まことに上等な村である。
作物はよく実り、
この地は豊かな土地であると伝えられている。
天日鷲命(あめのひわしのみこと)がこの地に臨まれ、
麻と楮(こうぞ)をお植えになったと伝う。
その神徳は尊く、
明らかであり、
言葉には言い尽くせぬほどである――と語り伝えられている。
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