

阿波國風土記 編輯纂
筑波大学図書館蔵書見開きNO25
本項では、山崎村に集中して記される多数の「字(あざな)」について、
由来説明ではなく、記録・運用単位としての地名のあり方に注目する。
(櫻の木)
字也
大社馬場廟なり
昔馬場両脇櫻の木吾り
死と云ふ
大社へ見通しの號なり
(大せんだ)
字なり
天石戸別伊自波夜比咩神社往環大道ヨリ
入込號の街也
大なる樗(ヲーチ)の木ありし祠なり
(小野)
字也
忌部の社より真北に當るにてかく云ならん
此號天神の社あり
社の祠委しく出す
(天神)
字也
前の件と竝たる土地なり
(桑内)
字也
法性坊此祠寺ありしと云
今の西方寺の坊号也
(石堂)
字也今ハ何も堂なし
(坊の内)
字也廃寺の跡なり
(杉の木)(松本)
共字也松杦の木吾りし故と哉
(堂の下)
字なり楠の木字也
(小原)
古原にて阿りしと也
(城谷)
字也 薬妙堂 の東の方の小谷を云ふなり
(琵琶の谷)
字なり 鴻あり天女教向せし地也と云
(久成)
字也 嶋かきわけある国なり国生(クガ)とも云となり
(あこや)
字也 幄屋とも云 尊舎の時官社ニ附 仮屋を伎るをかくハ云ひ欠るよし
(あこや)
字也 幄屋とも云 尊舎の時官社ニ附 仮屋を伎るをかくハ云ひ欠るよし
(舟戸木)
字也此処 岐神の小祠あり由緒あるにや
(竹の内)
此地ハ古エ赤の藪ありしとなり
(鳥門坊)
此祠まけ田と云忌部神社の沫供田なりと
不浄の肥を入るれバ祟りあり山草なともて花ルニ
赤の田よりよく実のるとぞふ審なる祠也此祠忌部社乾の角の立石あり
(祠原)字也 大川ぶち 西の窪 窪(カケ)いづれも字なり
(天王)
字也 此祠に淤謄山神社の地にて瀬詰村との境なり
此峠西ニ丸と云ふ號あり此丸の地細川氏の支流
の人の居地なりと云其後安楽字と云浄土真宗の寺
ありしグ此寺百五十年程前に郡里邑ニ移り其社荒地となりしぐ今ハ
屠兒の住居となれり此丸の地と天王山の局に
天狗瀧と云又戸板岩の瀧とも又*祓谷とも云此號ハ幻る清宋の景地也
(坂田町)
是も地名并ニ字也此祠少し町家也右丸の地の下にて
昔細川氏の居たる時の町なりと云此祠の東ハ一免の田
なり此田に埋為く往ども人を喰いず淤謄山神社の
神位の故なりと云此地十山の入口なり
コメントを残す