
阿波國風土記 編輯纂
筑波大学図書館蔵見開きNO-14
第十四頁右は前章13にて種野村稲荷神社にまとめています
樂田(ガクダ)
天日鷲命の神系が伝わった土地として語られる場所であり、
同時に稲荷社に属する十山分の惣氏が農を担った土地としても記憶されている。
神の由来地なのか、農の拠点なのか、その両義性を残したまま伝えられている点に、
在地の記憶の重なりがうかがえる。
日開谷(ひかいだに)
稲荷神社の東から流れる谷川に沿った土地で、
人ならぬものが住むと語られながらも、人を害さない存在として描かれている。
怪異ではなく「神座」として位置づけられており、
自然と神聖が隣り合う谷の性格が示されている。
坪井谷(つぼいだに)
日開谷の水上にあたり、旱魃の際には雨乞いと祈祓が行われた場所である。
水が湧き出るという伝承とともに、
氏神の恵みが深く、雲と雨に象徴される信仰の中心地として語られている。
麻楮(ヲカジ)
天日鷲命が麻楮の種を蒔いた地とされ、
「種野村」という地名の由来に結びつく場所である。
城ヶ丸と並ぶ古地でありながら、
現在は肥沃ではないと語られる点に、
土地の記憶と現実の対比が残されている。
(翻刻)
樂田(ガクダ)
此地ハ天日鷲命神禾立羽禾あそばし以地と云彼なり 亦稲荷社十山分の惣氏なりし時の禾をなしたる祠トモ云フ いづれも是なるや否
翻刻(訂正版)
日開谷
稲荷神社の東より流来る谷川を云ふ
此御霊の田地に
蛭多く住と蚩も人を喰わず
明神の神令也ト云く
坪井谷
日開の水上なり。旱魃の時雨乞祈祓に此□備へ祈るなり。
其時に瀆上る□あり。
氏神の恵も深き坪井谷雲の色よく瀬ひてぬらせよ。
麻楮
ト云あり坪井谷ヨリ四五町程戌亥の方に當りなる祠なり。
天日鷲命麻楮の種を蒔たる祠と云来より種野村の号となりたるなり。
城ヶ丸と竝たる古地なり此地ハ今に肥物ならぬと也。
(現代訳)
樂田
天日鷲命の神系がこの地にもたらされ、
禾(穀・生産の営み)を成り立たせた土地として語られている場所である。
また一方で、稲荷社に属する十山分の惣氏が担った
農の禾を司る祠であったとも伝えられる。
日開谷
この地は、
神の由来を語る場所であると同時に、
禾――すなわち穀と生業を支える営みの拠点としても記憶されており、
いずれか一方に定められることなく、
禾を中心に重なり合った在地の記憶が、そのまま伝えられている。
麻楮(ヲカジ)
「麻楮(おかぢ)」という地がある。坪井谷から四、五町ほど、戌亥(北西)の方角に当たる所の祠である。天日鷲命が麻楮の種を蒔いた祠だと伝えられており、このことから「種野村」という名になったのである。城ヶ丸と並ぶ土地で、この地は今でも肥えない土地だという。

坪井谷
日開谷の水上にあたる場所である。
旱魃の時には、ここで雨乞いの祈りと祓いを行い、供え物をして祈願する。
その折には、水があふれ出ることがあるという。
氏神の恵みも深い坪井谷では、
雲の色がよく立ちあらわれ、雨が谷を潤すと語り伝えられている。
この読みは、秦族や開発に関わる渡来系集団を直接指すものではない。
しかし、水利や土地利用に関わる現場の緊張を、
信仰語彙によって和らげ、正当化する文体であることは確かである。
「日開谷は、怪異を排除せず『神座』として包摂し、水利の要所を信仰語彙で安定化させる叙述になっている(開発側への配慮を帯びる)」
日開谷の「人を喰わず」という否定は、かつての不穏の記憶を匂わせながら、それを「神座」として包摂する編集である。水利・祈祓・氏神の恵みへと連結される叙述は、荒れを共同体の秩序に組み込むための配置として読める。対象を秦氏に特定できないまでも、後の受容に接続しうる形へ整えられている。
なんでも阿波説
「種野村」という村号は 単なる由来説明に見せつつ
今後の伝播・広がりに神聖性を乗せるための“芯”になり得る
「麻楮」は“地名(面)”というより、祠(点)に付いた呼称/祠名の可能性が高い
(本文が「祠」を繰り返し強調しているため)
「此地ハ今に肥物ならぬ」は、神威の否定ではなく
土地は痩せ地でも“麻楮という特別な種”が置かれたという構図に見える
つまり神聖性は「肥沃さ(豊穣)」ではなく、**種(継承・伝播)**の方に乗っている。
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