
阿波國風土記 編輯纂
<筑波大学図書館蔵書 見開きNO32>
喜樹神社については(31)に収めています
王子神社
祭神 天底立命
左ハ瓊瓊杵尊
右 建身分命
此社中左の神ハ
獨化天神ニて
右座に
御穂須須美命を合祭タルハ
いかしのわけなるや
近き廟ニ
大巳命の社在
故御子神を
此社に合せ祭しにや
阿らんのし
現代訳(王子神社)
祭神は、天底立命である。
左座には瓊瓊杵尊、
右座には建身分命が祀られている。
この社で、左座の神は「独りで化生した天神」であり、
右座に御穂須須美命を合わせて祀っているのは、
どういう理由によるものだろうか。
近くに、大巳命を祀る社(廟)があり、
その御子神をこの社に合わせて祀ったためであろう
――と思われる、と記している。
天神社條
天神社
祭神 高皇産霊命、菅原神。
天神と云ふ字の地に至る。是も鳶社なり。
此の社に松の逆枝を垂れ、免地三反斗りも匍匐たる
大木にて在しが、天保年中に枯れたりと、おしきことなりし。
現代訳
王子神社條
王子神社の祭神は、天底立尊(あめのそこたつのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)である。
右には建身方命(たけみかたのみこと)を祀る。
この社の左の神は独り祀られる天神であり、
右側の社には御穂須須美命(みほすすみのみこと)を合わせ祀っている。
これは「いかしのこけなるや」と呼ばれる近隣の地に、
大巳貴命(おおなむちのみこと)を祀る社があるため、
その御子神をこの社に合せ祀ったものかもしれない。
天神社條
天神社の祭神は、高皇産霊命(たかみむすひのみこと)と菅原神である。
「天神」という字(あざ)の地に鎮座しており、この社もまた「鳶社(とびのやしろ)」である。
この社には、松の枝が逆さに垂れた大木があり、
その根が三反ほどの地にまで這うほどに伸びていた。
しかしその松は、天保の年中に枯れてしまったと伝わる。
――惜しいことであった。
ここまでのトピック
- 御穂須須美命(みほすすみのみこと)考
阿波忌部系に特有の斎供神。
神供具(麻・稲穂)を浄め、神祭を鎮める女性神格。 - 王子神社條考
天底立尊・瓊瓊杵尊を主祭とし、御穂須須美命を合祀。
忌部神系の副祭祀構造を保つ。 - 天神社條考
高皇産霊命・菅原神を祀る鳶社。
松の逆枝伝承は天地逆転=神示の象徴。 - 喜樹神社條考
忌部の隠廟伝承。おがたまの木=神降樹信仰。
隠れ谷=神去来の地名痕跡。 - 天日鷲命の系譜連結
御穂須須美命は天日鷲命の「供奉神」的役割。
麻・織・神衣祭祀を介した阿波忌部の核心象徴。
恵美寿神社條
恵美寿神社
祭神 事代主命。八幡神社と同祭。
此の神は、世俗に商神と云ふ故にや、
忌部の市場なりし祠に至りけるを、
文化十年酉年、今の社地に遷宮せしなり。
祭礼 二月・六月・九月三日。
大祭礼にて神輿行幸あり。
現代訳
恵美寿神社條
恵美寿神社の祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)である。
八幡神社と同じ祭祀にて祀られている。
この神が世間で「商売の神」と呼ばれるのは、
かつてこの地が忌部の市場であったためであろう。
もとはその市場の祠に祀られていたが、
文化十年(1813年・酉年)に、現在の社地へ遷された。
祭礼は二月・六月・九月の三日に行われ、
そのうち九月三日の大祭では神輿の行幸がある。
【翻刻原文】
(淤騰夜末神社) 祭神 早須佐之男尊
此社ハ昔祇園牛頭天王とあかえまつりしが、根元より
おどやまの天王と世俗の云くありし故、二重にひ
王政復古に付神号とせしとぞ。九月七日大祭礼、
正六も七日なり。神輿行幸あり、大と群集して
いとも賑しき祭礼なり。此の神、疫病際をまもり
たるふとて、佐方より祭礼には参詣の人も多し。
(終)
【現代語訳】
(淤騰夜末神社) 祭神は須佐之男命である。
この社は昔、祇園の牛頭天王を同一の神として祀っていたが、
もともとの根源は「おどやまの天王」と世間で言われていた。
そのため二重に祀られる形となったが、王政復古の際に
正式に神号を「早須佐之男尊」と定めたという。
祭礼は九月七日に行われ、前日の六日にも斎行される。
神輿の行幸があり、人々が大勢集まり、たいへん賑やかな祭である。
この神は疫病の際に人々を守護したと伝えられ、
そのため佐方(地名)の方からも祭礼に参詣する人が多い。
【解説】
- 「淤騰夜末神社」(おどやまじんじゃ)は、
「淤騰=おど」「夜末=やま」と訓む。古事記の淤騰山津見神と同根の神名形。
ここでは牛頭天王=須佐之男命を本地とする祇園信仰の一社として伝承される。 - 「王政復古に付神号とせし」
明治初年の神仏分離令の影響を指す。牛頭天王信仰(仏教系の祇園信仰)を
廃して、神道的な名義「早須佐之男尊」に統一した事例。 - 「疫病際をまもりたりふとて」
「疫病を鎮めた」という伝承。祇園信仰系神社に典型的な表現であり、
須佐之男命の「厄除」「病除」の神格が地方に伝播している。 - 「佐方より祭礼に参詣の人も多し」
周辺の佐方村(現・吉野川市鴨島町方面)からも
参詣する人が多いという記録で、当時の地域信仰圏の広がりを示す。
🕊️要約トピック:
「祇園信仰から須佐之男命への神号転換」「疫病除けの守護神」「佐方参詣圏」。
この条は、神仏分離直後の地元信仰再編を最も鮮明に伝える重要資料です。
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