

翻刻本文:
此村ハ忌部郷十山の入り口伊豫街道道筋にて退より
東ハ学村巽ハ東山村南ハ種野村坤より乾迠を
瀬浅村祠より丑の方迠ハ芳野川にて正勝卿
御打入の後蜂須賀家の御家来林吉五郎兵衛教
此地破傭を給り食邑たるに依て西の方より北一免
一千皆局の代壇を築川水溢込なし是故諤土
入りなし故作物難育全困窮の村柄にて御年貢
却欠なる払拭おそろ氏い年中佐方に當惑仕
佼少なく動兢の*に払拭いとくるしき
現代訳
この村は忌部郷の十山の入り口にあって、伊予街道の道筋に当たる。
北西の方(退)から東にかけては学村、東南(巽)は東山村、
南は種野村、南西(坤)から北西(乾)にかけては瀬浅村に続く。
また、村祠の丑(北東)の方には芳野川が流れている。
正勝卿の御打ち入りの後、蜂須賀家の家臣である林吉五郎兵衛教(のり)が、
この地の破傭(はきょう)を給わり、食邑(しょくゆう:領地)とした。
それによって、西方から北方にかけての一免(いちめん)一千皆局の代壇を築き、
川水の溢れ込みを防いだ。
しかしそのために土壌が硬化し、水が入りにくくなり、
作物は育ち難く、村は全体として困窮するようになった。
その結果、年貢を納めることも難しく、
払拭(ふっしょく=納税・清算の意味)に恐れおののき、
年中、佐方(役所・代官所)への対応にも当惑した。
働き手も少なく、常に慎み恐れて生活しているが、
払拭(ふっしょく)の務めはなお苦しく、耐え難いものである。
- 破傭(はきょう):封地・給地を再配分または回収した際の「再支給」や「譲与地」を指す。
- 食邑(しょくゆう):給地として支配権を認められた地。
- 一免一千皆局(いちめんいっせんかいきょく):徴税・免租地の単位。局=区画。
- 払拭:この文脈では「納税の清算」「負担の解消」の意。
北(乾)
┌───────────────┐
│ 瀬浅村 │
│ (川水防堤/代壇築造地)│
│ │
西(坤)←──│──────芳野川────│──→東(巽)
│ 村祠(丑方) │
│ (芳野川東岸) │
│ │
│ 十山入口(伊予街道) │
│ 忌部郷 │
│ 林吉五郎兵衛食邑地 │
│(破傭給地・局構築) │
│ │
│南=種野村 │
│東=東山村 │
│北東=学村 │
└───────────────┘
南(坤→乾)
位置関係と構造解説
| 地名・要素 | 方位 | 内容・機能 |
|---|---|---|
| 十山口(じゅうざんぐち) | 中央 | 忌部郷の北西入口、伊予街道が通過。交通の要衝。 |
| 学村 | 北東(退より東) | 文書上では「学村巽ハ東山村」。忌部郷の東北側境界。 |
| 東山村 | 東南(巽) | 伊予街道沿線、山裾の村。 |
| 種野村 | 南 | 水田中心地。 |
| 瀬浅村 | 南西〜北西(坤〜乾) | 川沿い、堤防(代壇)構築地。 |
| 芳野川 | 北東流〜南西流 | 郷内を貫流し、村祠の東側を通過。 |
| 林吉五郎兵衛教の食邑地 | 西側中心部 | 破傭給地(再支給地)。堤防築造後に水はけ悪化、耕作困難。 |
| 村祠(芳野川東岸) | 丑方(北東) | 村の守護神祠。川に面する位置。 |
社会的構造(可視化ポイント)
- 交通軸: 伊予街道が村中央を東西に貫通。
- 宗教軸: 村祠が北東(丑方)に位置し、川(芳野川)を隔てて信仰圏を形成。
- 行政軸: 食邑地(林家領)が堤防(代壇)を境に設定。
- 経済軸: 代壇築造により水流が変化 → 耕地難化 → 困窮・年貢滞納。
様に冗く左遷ふ去ふから水損なき良く産物ハ
□也ニ出来るなり併田地ハ山の際に少くわく
阿りし低くい畑なり故に藍花を第一ニして
是條ハ雑穀のミ米つくりハ忘少く□故道筋
のことのハ皆□□を学にして産業所しぬる
而しなりなれどもをれく低く其ハ十山の入り口
豫州讃州金陵の重人ひと佐方への弁理よく
是れ人柄ハ多才のをも生れ良仁のし
― 現代訳 ―
このあたりの地形はゆるやかにのび、川の流れも穏やかで、
水害を受けることが少なく、作物の実りはおおむね良い。
ただし田地は山すそにわずかしかなく、低い畑が多い。
そのため、この地では藍の花を第一の作物として栽培し、
ほかは雑穀をわずかに作るのみで、米づくりはまれである。
村人たちは皆この藍作を学び、生活の糧としている。
しかしながら地勢は屈曲して低く、これが十山の入り口である。
伊予・讃岐・金陵(かなが)に通じるこの地の人々は、
言葉巧みで、佐方(さかた)の人々との交わりにも明るく、
人柄は多才で、生まれながらに善き仁の士である。
コメントを残す