
阿波國風土記 編輯纂
<筑波大学図書館蔵書 見開きNO-39>
字の事 長池 芳野川切辺て是地となりたるとなり 此地天水沼彦命に由緒ある 祠州加 村より芳の川をへだて祠にある内へかく云なめ のつごの祠 草野比賣神社ある祠のカシ祠なり の津ごの本上の説に同し 長畑の祠南に長き畠ある祠なる故なり 中長畑の祠前の説に同しく少し短き畑の祠也 出口此地の謂れは祠に水の神といふ小社あり其祠に當りし祠天水沼彦神社天水塞比賣神社此に社ありし祠と云 其社のありし祠の南を出口といふとかや 泉の元此字の地に右の二座の神の在りしたる号也と云 此祠にて清水の井泉あり今は五年と云るのとなり程其井泉あるなり 其井の元に六尺四方程の楊櫨木の森あり其元に水の神の小祠あり
現代訳
このあたりの地名は「長池」と呼ばれる。
芳野川のほとりにあり、この地がそう呼ばれるようになった。
この地には天水沼彦命にゆかりがあるという。
「祠須賀(ほこらすが)」という場所があり、
村から芳野川を隔てた向こう側にある祠をそう呼ぶ。
「のつごの祠」は草野比賣神社の小祠で、
本社の分祠(わけみや)にあたる。
「長畑の祠」は南に長い畑の中にある祠で、その形状によって名づけられた。
「中長畑の祠」は前述の祠と同じようなものだが、少し短い畑の中にあるため、そのように呼ぶ。
「出口」とは、この地の由来にちなむ名である。
ここには水の神を祀る小祠があり、
その祠には天水沼彦神社・天水塞比賣神社という二社が祀られていたという。
その社のあった祠の南を、人々は「出口」と呼んでいるらしい。
「泉の元」という地名は、この字(あざ)において、
右に挙げた二座の神が鎮座していたことに由来すると伝えられる。
この祠には清らかな泉の井があり、
今もおよそ五年に一度は湧き出るという。
その井のまわりには、およそ六尺四方ほどの楊櫨(やまはぜ)の木立があり、
その根元に水神の小さな祠が建っている。
🪶要約の印象
この一条は「水源と祠の分布地名」をまとめた章。
「長池」から「泉の元」に至る一連の“水の聖域”で、
天水沼彦命(淡水の神)と天水塞比賣命(湧水の女神)を中心とする
小祠群=水霊信仰の地誌的記録です。
翻刻
此白水の元の地三反程の場処、大水の時この地面ふ沼水に赤き色となるに、此泉の元の地に限りて信水となりかも濁る事なし、忘不思議とや禑うべし。
□ち地の何の故たるを知らず、水の神の霊験とハ□□へたるなり。
古き社のはなしなれば、妙□も何くんるし。
此泉の元の古地より南を出口と云ひ、西と西の出口と字に附沫検地沫地面に顕れたるは、い怙なるとおもひけらしぬ。
西の出口 南の出口 東出口。
此泉の元を中央にして三方に出口といふ字ある。
いは右鳶社地のありしゆえならんのし。
鳥居の元、西の出口のなしりをトリイの元といふも、鳶社地のありし志るしならめ。
現代訳
この白水(しらみず)の元と呼ばれる地は、
およそ三反ほどの広さで、
大雨のときにはあたり一面が沼のようになり、
水が赤く濁ることがある。
しかし「泉の元」の地だけは常に澄みきった水で、
まったく濁ることがない。
これはまことに不思議なことであり、
水の神の霊験(れいげん)によるものだろう。
このように言い伝えは古く、
くわしい理由や証拠はもう知られていないが、
やはり昔の社(やしろ)の霊地であったと考えられる。
この「泉の元」の旧地の南を「出口」と呼び、
また西と東にもそれぞれ「出口」という地名がある。
それらは、この泉の元を中央として
三方に位置する地名である。
おそらく、かつて右鳶(とび)の社(やしろ)があったためであろう。
また、「鳥居の元」という名も、
西の出口の地名の末(なじり)に残っているが、
これも鳶社地のあった名残を伝えるものであろう。
🪶構成注
- 「出口」は地名。泉を中心に南・西・東三方に展開する。
- 「右鳶社地」=社号「鳶(とび)」の祠跡。
- 「白水の元」=“泉の元”と同義、古称。
- 「い怙なると」句=「いかなると」と読まれ、意味上は「このような理由によるのだろう」。
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