筑波大学図書館見開きNO-01~10
写本画像1-10










阿波の神社巡り 阿波一社の考察 阿波風土記/古語拾遺考 etc
阿波国風土記明治写本は、単なる古文書の複写ではない。
そこには奈良時代・天保期・明治期という三つの異なる時代背景が重なり合い、それぞれの政治的・宗教的要請が層として刻み込まれている。
原本が編纂された奈良時代は、神と仏が未分離の世界であり、
神祇・仏法・土地神(地祇)が対立せず併存していた時代である。
この時代の風土記は、
という性格が強い。
阿波国風土記もまた、本来は阿波という土地が保持してきた神霊観・祭祀観を、そのまま残すことを目的としていたと見るべきである。
天保期は、幕府体制下での学問整理・古文書蒐集の時代であり、
ここで行われた写本編纂は、思想改変ではなく保存と整理が主目的だった。
この段階では、
そのため、阿波国風土記の構造的特異性は、まだ露骨に手を加えられていない。
決定的なのは明治期である。
この時代、国家は神仏分離と国家神道の確立を急ぎ、
平田篤胤を中心とする復古神道強硬派の思想が制度設計に大きく影響した。
その結果、
が強く求められることになる。
阿波国風土記明治写本における
初頁と第二頁の異様なまでに精密な重複は、単なる誤写でも偶然でもない。
これは、
という国家提出用の体裁を誇示するための視覚的演出と見るのが自然である。
精密すぎる複写技術そのものが、
「これは管理された文書である」という無言の主張になっている。
ところが、その“公文書的整合”の裏側、
裏頁右側には、明らかに異質な記述が置かれている。
そこでは、
一切登場せず、
天日鷲命のみが、神武天皇から武功を褒められた神として描かれる。
これは偶然ではない。
ここに現れるのは、
すなわち、阿波の気概である。
天児屋根命・天太玉命という祝幣二神は、
神武天皇の長脛彦討伐で武功を上げたとされる存在である。
しかし阿波国風土記では、
この構造は、
「中央神話を否定はしないが、全面的には肯定しない」
という、極めて慎重で知的な距離の取り方を示している。
阿波国風土記最大の核心はここにある。
風土記編纂指針として、
麻植神と呼ばれる忌部神に正面から触れることは、神道儀式様式そのものを歪める
という認識が、中央側にすでに存在していた。
これは、
ことを中央が理解していた証左である。
この点は、鳴門教育大学所蔵の後藤家文書にも示唆があるとされ、
阿波を軽視していたのではなく、触れられなかったという構図が浮かび上がる。
阿波国風土記明治写本は、
という、高度に計算された編纂の産物である。
それは抵抗ではなく、
沈黙と配置による主張であり、
「我らは知っている。だが歪めない」
という阿波の本意が、行間と構造そのものに刻まれている。
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