
阿波國風土記 編輯纂
<筑波大学図書館蔵書 見開きNO-96>
(翻刻)
(m96R)
① 彼六の色ナル□局の教えなるべし且又気拭き廼□平田篤
② 胤大人の編□せふ不史は博十の色二十二丁の廟ニ曰
③ 天日鷲神亦云天日鷲翔矢命ハ産巣日神の子
④ 天底立尊亦名角凝魂命の子天手力雄命の沫子
⑤ 阿波国忌部久米の連 天語連 弓削連等の祖也
⑥ 次長白羽命 亦曰天□知命 亦名天八坂彦命ハ則此
⑦ 天日鷲命の沫子神ニて麻植連等の祖神祇伯
⑧ 中資王記ニ建久五年六月十二日阿波国忌部久ふ
⑨ 還補氏長者角凝魂命の後也とあり
(m96L)
① 古語拾遺をレル大同三年より年数ハ云る八州
② 七□なれぞも今ハ是地に近き国人ニ問ふに詳ニハ
③ しらぬままの衰へ坐るハいとも嘆かわしきこと也
④ 神名式考證は云出ニハ今に山崎村に阿り坐と云うニ
⑤ 如訓あれバ必此□□の里□□忌部の郷にて
⑥ 阿らんの坐思ひけらしもせらん
⑦ 右拾に懸命グ述るハ此山崎写□出に出はれども
⑧ 亦村の忌部を伊□留(イエル)村といゝ□心□に写せる写*
⑨ にハ阿りたれども梓にちりぞ欠たふ出同に□
現代訳(m96R)
これらは六種の色に関わる何らかの教えであろうか。
また、気を清める教えについては、平田篤胤大人が編纂した書にも見え、
その史書には、博十の色、二十二丁の廟について
次のように記されている。
天日鷲神、また天日鷲翔矢命ともいい、
産巣日神の子である。
また天底立尊、別名を角凝魂命という神の子であり、
天手力雄命の子にあたる。
この神は、阿波国忌部の久米連・天語連・弓削連らの祖である。
また次に、白羽命という神がおり、
天□知命、あるいは天八坂彦命とも名づけられ、
これはすなわち天日鷲命の子神であって、
麻植連らの祖神、神祇を司る神である。
『中資王記』には、建久五年六月十二日、
阿波国忌部の久(部)が還補され、
その氏の長者は角凝魂命の後裔であると記されている。
現代訳(m96L)
『古語拾遺』は大同三年からの年数を数え、
八州七( )を伝えるものであるが、
今ではこの地に近い国の人々に尋ねても、
詳しいことを知る者はおらず、
そのまま衰えてしまっているのは、
まことに嘆かわしいことである。
『神名式考證』に言うところによれば、
今も山崎村に鎮座していると伝えられているが、
その訓に従うならば、
必ずこの( )の里、( )忌部の郷に
おられたのであろうと考えられる。
以上のことを懸命に述べているのは、
この山崎に関する写(記録)に基づくものであるが、
また村の忌部を「伊□留(イエル)村」といい、
( )の心をもって書き写した別の写本もある。
しかしそれらは、書写の過程で散逸し、
欠けてしまった部分も同様に存在する。
抽出トピック(m96)
1. 天日鷲命系神統譜の整理
- 天日鷲命(翔矢命)
- 産巣日神 → 角凝魂命 → 天手力雄命
- 忌部氏諸系統(久米連・天語連・弓削連・麻植連)の祖神
2. 忌部氏と神祇官的性格
- 白羽命(天□知命/天八坂彦命)
- 「神祇伯」という語が示す祭政・神務の中核性
3. 中世史料による裏づけ
- 『中資王記』建久五年六月十二日条
- 忌部氏の「還補」と氏長者の正統性(角凝魂命後裔)
4. 国学層(平田篤胤・古語拾遺・神名式考證)
- 近世国学による神統再構成
- しかし現地では既に伝承が失われつつあるという嘆息
5. 山崎村と忌部郷の比定
- 神名式考證による「山崎村鎮座」説
- 忌部郷(麻植郡)への帰着意識
6. 写本差・伝承断絶の自覚
- 「伊□留(イエル)村」表記
- 写本の散逸・欠損を自覚した記述構造
- 正史・国学・地方伝承のズレを隠さない態度
7. 本章の位置づけ
忌部を「神話」ではなく「歴史として再接続」しようとする段階
神統譜 → 氏族 → 中世記録 → 国学 → 現地伝承

阿波國風土記 編輯纂
<筑波大学図書館蔵書 見開きNO-97>
(翻刻)(R)
①今此年まで皇国の出を閲すれども□に
②一言の忌部を論ひたるそ冗受
③既に通佐る姿故の此行脚の神社□禮の大人
④来り此ひと肥後の国の人而薩摩の大寄司
⑤なるよして□□喜人ハ□□の国の人築杵
⑥坐や乱地の是ハ□人にて當家の隠遁なるの
⑦よしや□なり来りて皇国学へ□□
⑧□□□なれバ心おくなり□し合ふ
⑨□ク中に所国各号鳶社の詠歌さわに
(翻刻)(L)
① 阿るを□本坐し□り冗寿教をグ
② 中に此山崎村なる忌部の社のおと□へたるを
③ かなしミ坐る久章のなかに詠歌の一首阿り
④(朱)忌部山なりしや忘レタリに記
かくれ谷阿欠のひわしの翔ふ矢の當れる的の山崎の里
⑤ 如斬村むらの諸説数ゝなれども此山崎ならねバ高越山
⑥ ならん利においてハ山崎の□思ひぬれども阿る高越ハ
⑦ 格別霊験炳我けれバ世にかくれなし然るに高き
⑧ 大社唯一の宮を御流神道の別當持の宮にハ世しや
⑨ また高越大権現と佛に近き社にハ世し□坐や
(97/R)現代語訳
① 今に至るまで、皇国(日本)の由来を広く調べてきたが、□については
② 忌部について一言でも論じた書は、ほとんど受け継がれていない。
③ すでに世に通用している姿があるため、この巡拝の旅において、神社□礼の大人が
④ やって来た。この人は肥後国の人であり、薩摩の大寄司でもあるという。
⑤ その由来によって、□□喜人は□□国の人、築杵に
⑥ 坐す者であるが、乱世のため□人となり、当家に隠遁している者である。
⑦ そのような者であっても、やがて来朝して皇国の学問を修め、□□
⑧ □□□であるため心に隔たりが生じ、□し合うこととなった。
⑨ □く中に、諸国それぞれに号する鳶社の詠歌が数多くある。
※Rは
忌部を正面から論じた記録の希薄さと、
地方の学識者・巡拝者による補填的記述を述べた導入部。
(97/L)現代語訳
① あるところでは、□を本として坐し、□により冗寿の教えを述べている。
② その中で、山崎村にある忌部の社について、□を伝えている。
③ そこには、悲しみのうちに坐していた久章のもとに、和歌一首があった。
④(朱書)
ここが忌部山であったかどうかは忘れてしまったので、記しておく。
本文:
隠れ谷、阿欠の地で、
天日鷲が放った矢が命中したその的、
それが山崎の里である。
⑤ 如斬村については諸説が数多くあるが、
もしここが山崎でないとするなら、高越山であろう。
⑥ 利の上から考えるならば、山崎こそが正しいと思われるが、
高越にもまた理由がある。
⑦ 高越は格別に霊験が明らかで、世に知られぬことはない。
しかし、それは高き存在であるがゆえである。
⑧ 大社として唯一の宮を、御流神道の別当が司る宮としてよいのだろうか。
⑨ また、高越大権現のように仏に近い社を、
同じように扱ってよいのだろうか。
・R:
忌部についての体系的記述が乏しく、
地方の学識者・巡拝者による補足で語られている現状の提示。
・L:
本社比定を山崎に強く置きつつ、
高越山という強力な宗教的対抗軸を冷静に比較検討している章。
・結論を断定せず、
「由緒(山崎)」と「霊験(高越)」を分けて考えているのが特徴。
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