
阿波國風土記 編輯纂
<筑波大学図書館蔵書 見開きNO-99>
(99R/L)翻刻
(99R)
① 天村雲神社
(1)此ニ座の社延喜式神明帳ニ合殿に出タリ在ルニ
(2)川田村なる此社と云フハ 祭神天村雲命
③ 伊自波夜比賣神社
(3)伊自波屋姫命
(4)天御中主命
④ 右の五神を合セ祭アリタル川田村なるが正社なれバ延喜式
⑤ 二五座トアルベキニニ座トアルハ甚不審也憲明案曰
⑥ 此社の在ス地名川田村の内なる嶋と云フ処也此社を三十
⑦ 年以上前迠ハ嶋の妙見宮と穪したる社ニて及しを
⑧ 如所社号を改たれども是村の非立たる文學にても心得
⑨ 阿る程の者ハ土俗女童の教
⑪ ハ妙見宮とのミ称しぬ此土俗のをハ正しき也まへし
(99L)
① 文字のあるをのハ天村雲唱へぬるハ邪なり悪質也邪ハ文也
② 子曰質□文則野也文□質則史文質彬ニ然後君子也
③ と伊倍り文あることの後世の人をして迷するの匁彼を
④ するなり嗚呼□に巧言令色鮮矣仁とハよくいふたり
⑤ 憲明案曰此社根元天御中主をまつりし社也是ハ
⑥ 摂津国能勢郡妙見宮を本社として刻祠痕の極梱
⑦ 子の星也他の星皆西へ移り此星南極ハ天地の樞機
⑧ なる故居ながら巡ふ也号謂車の真儀(心木)也仏法にハ
⑨ 此を不動明王とす是を祭りたる故に妙見の名ある也
➉ 然に奉仕の神主共神領の地を貧んた免に式社の神を
(100)(1行目)
後に係く祭たると冗くたり是ハ取にたらぬ説也トゾ
(99R)現代語訳
天村雲神社・伊自波夜比賣神社の由緒
天村雲神社は、二座の神を祀る社であり、『延喜式神名帳』には合殿として記されている。
川田村にあるこの社の祭神は天村雲命である。
また、伊自波夜比賣神社があり、伊自波屋姫命と天御中主命を祀る。
これら五柱の神を合わせて祀っている社は、川田村にあるこの社が正社であるはずである。
それにもかかわらず、『延喜式』には「二五座」とあるべきところが「二座」と記されているのは、はなはだ不可解であると、憲明は考える。
この社の所在地は川田村の内にある「嶋」と呼ばれる場所である。
この社は三十年以上前までは「嶋の妙見宮」と称されていた。
その後、社号は改められたが、村においては正統な理解としては定着していない文書も存在する。
ある程度の人々は天村雲の神社であるとも言うが、
土俗の女童たちの伝えるところでは、ただ「妙見宮」とのみ称している。
この土俗の理解こそ、正しいものであるといえよう。
(99L)現代語訳
文字と信仰についての批判
文字によって「天村雲」と唱えるようになったのは邪であり、悪しきあり方である。
邪とは、文(文字)によるものである。
孔子は言っている。
「質(実)があって文がなければ野にすぎず、
文があって質がなければ史にすぎない。
文と質とがほどよく備わって、はじめて君子である」と。
文字があることで、後の世の人々はかえって迷うことになるのである。
ああ、「巧言令色、鮮なし仁」とは、まことによく言ったものだ。
憲明の考えによれば、
この社はもともと天御中主を祀っていた社である。
ある説では、他国の妙見宮を本社として、そこに祀られた痕跡を移したのだというが、
北極星は他の星々が西へ移る中で、ただ一つ動かず、
天地の枢機として、その場に居ながら巡っている存在である。
このことから「車の真儀(心木)」と称され、
仏法においてはこれを不動明王とする。
妙見の名があるのも、この神を祀ったためである。
しかし、奉仕する神主たちが神領の土地を困窮させたために、
後になって式内社の神を併せて祀ったのだ、という説があるが、
これは取るに足らない説である。
(99R)トピック
- 天村雲神社・伊自波夜比賣神社は合殿構成である
- 延喜式の「二座」記載は本来の神数と合わず不審
- 川田村「嶋」に所在し、旧称は「嶋の妙見宮」
- 社号は改められたが、村内で正統理解として定着していない
- 天村雲神社と称する者もいる
- 土俗(女童)の伝承では「妙見宮」とのみ称する
- 撰者は土俗側の理解を正しいと評価している
(99L)トピック
式内社合祀を後付けの都合説として退ける
文字による神名規定(天村雲唱名)を邪と批判
文(文字)と質(実)の関係を、孔子の言葉で整理
文字化は後世の迷妄を生むとする立場
この社の根元祭神は天御中主
妙見は北極星=天地の枢機=居ながら巡る存在
仏法では不動明王に当たると説明
「他国の妙見宮を本社とする」説を紹介
その本社説を「取るに足らぬ」と否定
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