阿波國風土記編輯雑纂 (明治写本)翻刻に挑戦しています 誤読/指摘/お気づきのある方(みんなで翻刻しませんか)

斎王臥淵

筑波大学図書館所蔵『阿波國風土記編輯雑纂』翻刻
同図書館情報提供済

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久富憲明再考 ― 年齢と職員録から生じる疑問

阿波国風土記明治編纂雑纂本には
久富憲明謹撰 とあります
風土記の責任者だから 他の著作も読んでみたいなぁと
単純に思ったのがきっかけです
でも 阿波国風土記と同内容の

麻殖郡風土記が見つかっただけで

そこにも 久富憲明謹撰 とあるだけで
?選んだだけ?著作じゃないの?
というところから 久富憲明検索し始めましたが
まぁ 出てきません 四国の師範学校名簿/職員名簿
皇学館/国学院/大日本史とあたりましたが 皆無でした
国会図書館でも 阿波国風土記/麻殖風土記謹撰としか
出てきません
おまけに 阿波国風土記編纂人名簿では
久富永次郎 山崎にこの人知る人なし と
名簿作成者も 久富憲明の存在を 懐疑するような記述がありました
そうなると 俄然調べてみたくなるのが人情ってもんです
で調べてみました

阿波国風土記編纂者として知られる久富憲明について現在まで確認できた資料を整理するといくつか看過できない疑問点が浮かび上がります

喜多本の記述

『阿波国風土記 巻之一 麻殖郡部 風土記』(平成18年・喜多弘)には

「風土記編纂掛 久富永之助(明治十七年二十九歳)」
「久富憲明氏が永治郎(栄次郎・永之助)氏であることは業績が対応することから把握される」

との考証が掲載されています

同書では

久富憲明=久富永治郎=久富栄次郎=久富永之助

と同一人物に比定しています

年齢との整合性

「明治十七年二十九歳」を基準に逆算すると生年は安政二年(1855)頃となるので

この場合

明治二年 約十四歳
明治四年 約十六歳
明治七年 約十九歳

となるわけです

ところが同書には久富永之助が明治四年頃の職員録に風土記編纂掛として見られるとの趣旨の記述もあるので

この記述をそのまま受け取れば十六歳前後で風土記編纂掛となり職員録に掲載されたことになるのです

年齢と職務の関係には再検討を要する不自然さがあります

『明治徳島県官員録・職員録』との比較

徳島県立図書館所蔵の『明治徳島県官員録・職員録』を確認したところ

同書に収録されているのはおおむね明治七年以降の官員録・職員録でした

確認した範囲では

久富
久富永之助
久富永治郎
久富栄次郎
久富憲明

の名は見当たりませんでした

師範学校関係の職員欄についても久富姓は確認できませんでした

明治四年頃に正式な風土記編纂掛として職員録に記載されていたのであれば明治七年以降の官員録・職員録にも何らかの痕跡が残ることが予想されるのに です

しかし今回確認した範囲ではその痕跡は確認できませんでした

今回確認した人物・名士関係資料

久富憲明および久富姓の人物を確認するため徳島県立図書館で次の資料を調査しました

『徳島藩士譜』
『阿波人物墓所志』
『郷土史に輝く人々 第二集』
『徳島名鑑』
『徳島の百人』
『徳島県名士録』
『阿波美談』
『明治徳島県官員録・職員録』
『御大典記念 阿波人物鑑』

これらの資料では久富憲明久富永之助久富永治郎久富栄次郎に該当する人物を確認することはできませんでした

また『御大典記念 阿波人物鑑』については徳島県内だけでなく県外・満州・朝鮮関係の収録人物も確認したが久富姓は見当たらなかったのです

『徳島人物名鑑』では現時点で確認できた久富姓の最初の人物は久富巌です

久富巌は大正十四年(1925)生まれであり明治初期の阿波国風土記編纂者とされる久富憲明とは時代が大きく異なりますので

現時点で生じている問題は

現在確認できた資料からは次の点が未解決として残るのです

「明治四年頃の職員録」とは具体的にどの資料を指すのでしょうか?
それは正式な官員録・職員録なのか編纂掛名面など別種の名簿なのかということ
「明治十七年二十九歳」という年齢の典拠は何なのか
久富永之助永治郎栄次郎憲明を同一人物とする根拠は十分なのか
久富憲明が重要な編纂者であったならなぜ人物録官員録藩士譜などにほとんど痕跡を残していないのでしょうか

現段階での扱いは

以上から喜多本に示された人物比定をそのまま確定事項として扱うことはできません

考えられるのは

「明治四年頃」という年代に誤りがあるということ
「明治十七年二十九歳」という年齢に誤りがあるかもしれない
「職員録」という資料名または資料の性格が異なっている
久富永之助と久富憲明が別人であるのかもしれない
永治郎栄次郎永之助のいずれかが別人または誤記であるとも考えられる

などです

いずれも現段階では未確認であり確定できません

結語

本稿は久富憲明の実在や阿波国風土記への関与を否定するものではないです

ただし喜多本に示された年代年齢職員録人物同定の間には現時点で解消できない齟齬があります

特に

明治四年に十六歳前後で風土記編纂掛として職員録に掲載された

という人物像は明治七年以降の官員録・職員録に名前が見当たらないことも含め慎重な再検証を要すると思います

久富憲明については人物録や後世の解説だけでなく編纂掛名面原本の奥書書入れ蔵書印戸籍・村方文書などによる確認が必要だと思っています

翻刻初心者です(笑)誤読やミスの指摘 ご意見大歓迎です